ワルツ

 少し長く寝ていたみたいだ。足のところまで太陽のひかりがとどいてる。ワルツ、きみの夢を見ていたよ。夢の中の君は、まぶしいまぶしいまっ白なきみだった。


 ワルツがうちに来たのは、ぼくが幼稚園の年中さんだった頃だ。よくおぼえてる。なんでなら、ぼくがその年に運動会でびりっけつになったからだ。年小さんの時は運動会にこなかったパパが、応援にきてくれてたのに。パパは何もいわなかったけれど、すごくがっかりしたと思う。ぼくがもっと足がはやくなるように、外でいっぱい駆けっこをするようになるように、ワルツを探してきたんだ。パパはそうは言わなかったけれど、そんなことは言わなくてもわかるんだ。
 だからぼくはふてくされた。そんなの、ペットなんか飼わなくったって、いいじゃないかって。ぼくがバカにされたような気がしたっていうのもあるよ。でもそれだけじゃなくって、うまく言えなかったけれど、ぼくはこう思ってた。ぼくの足がおそいっていうだけのために、ほかの生き物をりようするなんておかしいって。でも、ああ、ワルツ。ぼくは一目見たときに、きみをだいすきになっちゃった。ほれちゃった。
 ワルツ、きみはまっ白だった。まっ白でふわふわでもこもこの毛の中で、目だけ二つきらきら光ってた。黒いお星さまみたいだった。ぼくはうっとりして言った。「わたがしみたいでかわいい」って。パパもママもわらってた。「おまえのだいじなワンちゃんなんだから、たべちゃだめだぞ」
 うん、そりゃ食べないよ。パパもママもほんとうに何もわかってない。わたがしみたいっていうのは、すごくいいってことなんだ。かわいくて大事にしたいっていうことなんだ。


 ぼくはよくきみと、世界でふたりだけ(ひとりと一匹だけ)になるクウソウであそんでたけれど、今は…。
 ほんとうに世界でふたりだけみたいだね。ワルツ、ごめんね、そんなまっ茶けな、ごちゃごちゃな毛になっちゃって。家にかえったらいっしょにお風呂にはいろう。でもワルツ、君の目だけは、いつもと同じきれいなまっ黒だね。黒い太陽みたいだ。
 うん、あれ、太陽はもっとまぶしくて明るいよね?でも、ああ、きみの目は太陽みたいにすごいよ。お星さまよりこっちの方がぴったりって感じがする。
 あ、ちがうんだ。エサの時間じゃないんだよ。ごめん…ごめん…かんちがいさせちゃって。
 そんなにしっぽを振ってたら疲れちゃうよ!おちついて!おねがいだよ、ワルツ!ああ…ワルツ…ごめん…ごめんよ………。


 きみのおかげでぼくはすごいお気に入りの野原を見つけられた。もうすごいの。夏になったら草がお城みたいに生えて、誰からもかくれられるような野原。それなのに真ん中はいつも広々してるんだ。
 そこで走って走って走りまくって、へとへとになったら家に帰って、ワルツの体からバクダンとかトゲトゲグサのタネをとってあげて、いっしょにシャワーをする。きみとなかよくなってから、毎日そうやって遊んだ。楽しかったねー、ワルツ。あの野原と夕焼けとワルツ。思い出すと、ぼくはいまでもずっとあの野原にいるような気持ちがする。
 あんまりワルツがぼくだけになつくから、パパもママもよくあきれていた。きみたち、いつか結婚するんじゃないの?ママにからかわれたけれど、ぼくは大人のああいうところが良くわからない。どうしてありえないようなことでからかおうとするんだろう。ぼくはワルツが、ワルツもぼくが(きっとね)大好きだけど、それと結婚するっていうのは全然ちがう。動物と人間は結婚できないし、したくないもの。ほんとうに変だとおもう。


 夜になると聞こえる吠え声が怖いよ。きみもいっしょに怖がってたね。同じなかまでも怖いんだね、弱虫なワルツ、ぼくといっしょだ。きのうは何回泣いたんだろう。水がもったいなかったな。ほっぺたをなめてももう何も残ってないや。なめるだけでベロがいたくなる。ベロがクレヨンみたい。へんな味がするし、ぬるぬるしてるし、それなのに口の中でべたべたくっついて…。
 この穴。こんなところに来たのはぼくが悪かったのに。きみをまきぞえにしたのは僕なのに、それなのにぼくはきみに……。


 ぼくがきみと親友になろうってきめたのはあの時だ。その前もぼくはきみが好きだったけれど、きみはパパかママと遊んでばっかりで、ぼくの片思いだなぁって思ってた。
 けんいーがヤツヤをすごいいじめてた時。すごいなぐってすごいなぐって、ぼくはもうこわくて、けんいーはいつもこわいし、でもヤツヤがこのままじゃもうしんじゃうから助けなきゃって思ったから、ぼくはじぶんでできるだけの声でさけんだ。
「ひとごろし!!!」
 みんなすごいびっくりした顔をして、しずかになった。けんいーもヤツヤも、ほかのみんなも、ぼくのことをなんだか見ちゃいけないような顔でぼくをみた。先生が走ってきて、みんなからいろいろ話を聞いてから、先生はぼくを怒った。けんいーじゃなくって。なんだか見たことのないような怖い顔で。人殺しっていう言葉はかんたんにはつかっちゃいけないんだって。
 (でもぼくは、ヤツヤをたすけたかったんです)先生のあんな変な顔ははじめてで、ぼくは何もいえなかった。家に帰ってママの顔をみたとき、ぼくはママに抱きしめてもらって泣きたかった。でもなぜか泣けなかった…。きっとママに話をしても、先生とおなじことを言うんだって、なぜだろう、かわかっちゃったんだ…。
 だからぼくはぼんやりして、テレビ(ナルトのDVDだったかな?)を見てた。 そうしたらワルツ、きみがぼくのところにやってきた。きみは何もしなかった。とくべつなことはなにも。ただ、ぼくのヒザのとなりでちょこんって丸くなって、すんすん鳴いたり、ぼくのヒザに鼻を当てたりした。だけどぼくは世界中で味方はきみだけだってわかって、ぼくがそう分かったってきみに伝わったこともわかったんだ。一人ぼっちなきぶんは消えなかったけれど、ぼくとワルツふたりで一人ぼっちなんだって、悲しいけれど嬉しくなったんだよ。


 ワルツ、ぼくにはきみに言ってない一つの考えがあるんだ………。
 いってなくて…いえなくて…ごめん……ほんとうにごめんなさい…ぼくはこわくて。ほかにどうしようもないから、これしかないって分かってるんだけど、ぼくは一人っきりになるのがこわいんだ。ワルツがいなくなったらどうしよう…。


 うんちとおしっこの匂いが気持ち悪いな。へんなところにウンチをした時に、あんなに怒ってごめんね。きみがまだ傷ついてるの、わかるよ。トイレのことで怒られたのはひさしぶりだもんね。でもぼくはもう怒ってないんだよ。ああ、怒ってないってことがきみに伝わったらいいのにな。
 そういえばぼくがずっとワルツを許せなかったことがひとつだけあった。いとこのひーちゃんからもらったムササビのぬいぐるみ、エルをきみが噛みちぎっちゃったこと。噛みちぎってうれしそうに振りまわして遊んでたこと。
 ぼくは今でもあれを許せない。でも、茶色くなっちゃった毛を震わせながら、ぼくの足の周りをぐるぐるまわってるワルツを見てると、フシギだけどもう許している気がする。
 許せないけれど許せることってあるんだ。すごくフシギだ。ワルツ、きみにもこういうフシギなかんじってわかるのかな。


 ああ、きみが、ぼくがきみをここから助けだして、(きみが嫌いな)あったかいシャワーと美味しいごはんのあるうちに連れて帰ってくれるって今でも信じているのがよく分かる。でもごめん、ぼくはもうジャンプいっかいする元気もないんだ。このまますわってきみの背中をなでさせて。ぼくが勇気がでるまで。きみがいなくてもいいって思えるまで。


 夜。月。ああ、もう夜なんだ。なんで、ほんのちょっとで夜になっちゃった。ううん、ちがう。夜だけど月はない。さっきは見えたのに、あんなに銀色の月がみえたのに。かんちがいだった。シンキロウっていうんだよね、こういうの。サバクじゃないけどさ。ワルツ……。
 ぼくの考えなんてたいしたことじゃない。ぼくはこの穴から出られないけれど、ぼくが背伸びをしてきみを持ち上げれば、きみはこの穴から出られるってことなんだ。
 ぼくときみ、いっしょに死ぬか。ぼくがしんできみがいきるか。わかってる、どっちがいいかなんて。でも、ぼくはきみがいなくなって、ここで一人でなんて、そんなの…そんなの…ああ、パパ、ママ……。
 だけどどうしてだろう。きのうほど怖くない。おなかがすいてすいてしかたなかった時ほどこわくない。太陽がいちにちにほんのちょっとしかみえなくったって、ぼくはきみとここにいた時間で、きみからもらえるものをぜんぶもらえた気がする。ぱぱとママのために、きみをここから返してあげなきゃって、ふつうにおもえるよ、ワルツ。


 ゆうがた。のはらをはしるきみ。


 よる。まだヨルだ、よかった。こんどはねすぎてない。のらがいっぱいないてる。にんげんにいろいろいるみたいに、あれはきみとはちがうんだ。きみをいじめるんだ。
 わるつ。ぼくはふしぎだ。きみのかわいいくりっくりの黒いめをみたら、なにもこわくなくなった。ぼくがなんなのか、きみがなんなのか、わかった。うれしい。ぼくはまたユメをみた。きみがあののはらでかけるゆめ。ああわるつ、きみがすきだよ。
 あののらたちからにげきって。あののはらでまたかけまわって。


 ワルツ。銀色の光。