11月12日

好きだから想ったり言ったりしたりしても許されると思ってたんだとしたら、最悪だ。


樹の名前を知りたいな。横綱の掌のように立派で、踏むと小気味良く粉になる枯れ葉を落とすこの樹は何て名前だろう。でも図鑑で樹の名前を調べるのが不純に思えるのは何故だ。自然にあることの全てを先天的に知っていなければおかしいのにって訴えたい感覚は何なのだ。


赤茶の緩衝材に、黄土色の枯葉が散り敷いた遊歩道、赤ん坊を抱いた幼い夫婦が歩いている。平日の運動公園のこんな真昼間に、当然の喜びに輝いた笑顔で。この永遠の10分の為に費やされたのはどんな悲しみだろう。彼と彼女のかさついた夜や、遠い誰かの9mmの弾丸は報われただろうか。


誰かの迷惑になるなら消そうか。


選ばれなかっただけだ、もういい、知って欲しいなんていうのが失礼なんだ。分かる人とは居られないようになってるんだ。


今の事を考えるとどうしても自分勝手になる。千年先でもまだ濁る。万年先の事を考えれば、あまり間違えない気がする。万年先の笑顔と真空の為に。


吐き出してもキリが無い、出来ることを見つけよう。いつか何かに求められることがある時の為に、少しでも良い自分を用意しておかないと。求められることに、ごめんなさいと思わずに済むようにはなれないだろうけど。