10月15日

幼い頃、とても生きていけないと思ったのは、優しいものは生きられないと直観したからだろう。そして、僕は優しくなかった、だから今生きている。優しくないならば、誰かに何かをしてあげられる時も来るだろう。問題ない。色んなものが良く出来ている。


しっかり閉じた円環というのは、描くと面白くないですね。


底は、まだ、下だ、どこまであるのか、これは、本当にここまで潜っている人が居るのか、隣のこの人、もし同じ顔なら切り裂いてしまうだろう、まだ下がある、まだ、

ここ、誰も来ないよね。


隣の部屋の人がボクサー崩れの元ヤクザでした。一緒に郵便局強盗しようって誘われました。「なんで銀行じゃないの?」「郵便局のがガード甘いやろ」「(うわあ、本当の馬鹿だあ・・)そ、そんなこと無いんじゃないですかね」と、夜明けまでかけて止めるよう説得しました。

なんかその元ヤクザ、「お前は絶対人殺す顔してる。ムショで会った人殺しはみんなそういう顔してるんだ。ムショの過ごし方教えてやる」と刑務所での対処の仕方を真冬の公園で一晩中教えてくれた。僕もそんな気がしていたので、真剣に聞いた。

親殺しと幼児性愛者は刑務所ですごくいじめられるって、本当らしいです。


言ってしまうと申し訳ないのだけれども、どうにも頭が良くなくて何の仕事も出来そうにない人が「原発の掃除って2時間で5万円もらえるんだぜ!いいだろ!でも一度やると1年(だったか?)やらしてもらえないから、ごまかして登録するんだ!」と話していた時は、さすがに何も考えたくなくなりました。

その人屠殺の仕事もしてた。屠殺場って回転早くて、10〜15分で一頭の牛を解体して回していくらしい。でかいナタあるらしいです。なんかほんと、色々、どうにもならない事って辛い…。

本当に、頭が悪いというのは、大変なことです。建築現場でズレた自分のメガネを直せない(ズレてるのも気づけない)若い男の子が笑って生きてるのを見た時は、自分がどれだけ甘ったれか思い知らされました。休憩のたびに僕がその人のメガネを直してあげていました。良く見えるって、すごく喜んでいました。

一人暮らし時代の事を思い出しただけで動悸がしてきた、、、


頼むから誰も何も与えないでくれ。持って行くのは構わない、食べられるところが残っていたらどうぞお好きに、美味しいところはもう無いけれど悪いね。でも与えられるのは、もう耐えられないんだ。やめてくれ。


急に裏返った。この感覚は懐かしい。強くも弱くも無いけれど無敵だ。無痛症は傷を深めるだけだともう分かっているけれど、一晩くらいは使わせてもらおう。


胸の真ん中の、遠い届かないところで闇雲に光っているこの硬くて冷たい星を、いつか握り砕いてやる。


3歳の頃、自動車に僕と弟が寝る為の毛布が積んであったので、多分。夜の国道で毛布と母に包まれてうとうとしていたらAMラジオから死刑執行のニュース。物語の存在だと思っていた死刑の実在を知って、僕はじっとりと興奮した。解放してくれるものを見出し。そしてこの己は隠し通すべきだと知った。


どうして?


幼年期が欲しかったな。僕は人から幼年期を奪おうとするものを許さないよ。


ある一定の憎しみを保持し続ける覚悟がなければ、愛する事を永遠にする事は出来ない。


個人的な敗北を何かの真実の現れのように語る意見には賛同してやらない、絶対に。アイロニー、ユーモア、便利なのでしょうね。


久しぶりにつけたカーエアコンに、夏の午後二時の県道ののんびりした匂いが残っていた。


与えた事などないくせに、与える事しか許さないなんて勘違いしているせいで、こんなだ。


奪う以外何をした事があるのか。


苦しいですよ、当たり前だろ?でも苦しかないね。

今までの罪の億分の一も苦しんでいないのだから、全然平気だな。


幸せになっていいに決まってんじゃんばか!遠慮すんなお前ら!


本当はそんなに色々求めている訳じゃなくて、ただ泣きたいだけなんじゃないかなって思う事もある。でも泣けなくなる前から、僕はこんなだったな。