10月8日

本を紹介し合って本当に楽しい相手って、5年に1人ずつくらいしか見つからないのかな。


キャラクター性の強いイラストが苦手だったのですが(なんで人間を描かなきゃいけないの?汚いじゃんって思っていた)、最近面白くなってきました。


日曜の御礼拝に出てみたいな。


雨が降っていて、遠くの物音が届いて来て、時間が余っていて、気持ちいい。今なら、人の幸せを見ても遠いと感じない。

今の寂しさは気持ちいい。いつもの、全身の細胞がのたうちまわってるような寂しさは、正直ちょっと、しんどいです。


深く想いながら、忘れていよう。どこかであの人が死んでいるとしても、今の僕なら大丈夫だ。そうでありながら幸せであって欲しいと願う事も出来る。


遠い、人類の滅亡まで旅をしても辿り着けない異星の砂礫を想うように、人間を愛し必要としています。それ以上を求められるといつも戸惑うのです。


(自分をメンテナンスし続ける事以外の部分でなら)人間をやるのも面白いと感じて来た(と言ってしまうくらいに今血迷っている)。


やっぱり黒い服着ると嬉しくなるな。もう開き直ろうかなあ。


季節で感じ方・考え方が変わる気があまり、しない。無理矢理押さえつけているのだろう。理性が自分の支配下から外れる事に物凄い嫌悪感がある。つまり馬鹿なのです。


愛は(強さはどうであれ)小さいほど美しい。


朝から晩まで愛の事を何度も憎んでいて、それが良い娯楽になっています。


こうなってしまった今でも、空には染み一つ見出す事は無いな。
(「空に染み一つ目にする事は無かった」はアリプロのあたしがアリスだった頃の歌詞です。)


熱い物を食べて鼻水が出て来た時のはしたなくない誤魔化し方、どなたか教えて下さい(やっぱり化粧室に行くしかない?)。

友達と、「セレブは歯の間に詰まった滓をどうセレブ的に誤魔化すのだろう」という議論をした時は、「セレブ的な舌技で取り除いているのだ」という結論をみた。


ランチセットの美味しくないコーヒーを飲んで、もう数ページ読んだら店を出ようと思っていたところに、団体のお客様がみえたので一人がけのシートに移って頂けませんか珈琲をもう一杯サービス致しますと声を掛けられた。どこで本を止めよう。何も損をしていないけど、何かが少し重くなっちゃって残念。


言葉はいつも不快。


揺らぎのないものってつまらない。


諦めないでね。


駐車スペースを車で通り抜ける時に、小さな女の子がこの上なく幸せそうに、酔った蛙のような足取りで物陰から出て来た。その陶酔があまりに美しかったので、邪魔をせぬよう気づかれぬよう時速5kmくらいでゆっくりと脇を通り過ぎようとした。

後から出てきた祖母と思われる女性が少女の肩を押さえて、非常に恐縮そうに会釈をして来た。僕は、少女の空間を掻き乱してしまった事と、何らの善意も無くただ自分が美しい物を鑑賞していたかっただけだったのに人を謝らせてしまった事で、罪悪感の為に、その女性を無視して通り過ぎてしまった。

会釈に対して会釈で返してしまったら、謝罪を正当なものとして受け取ってしまった事になるかと思えたからです。謝らなくていい、謝らないで欲しかった。

なんで何も悪くない人を謝らせてしまわねばならないのだろう。