9月27日

欲しい 欲しい


大好きです大好きです大好きです


自分の心が一番透き通って心地良い時に、遠い誰かの幸せと遠い誰かの悲しみを想う時に、田圃の葉ずれと虫の聲が意識を融かす時に、叶わぬ憎しみの名を唱える。


ぬいぐるみのスーちゃんを裏切った事を、毎日後悔してる。


強くなりたいからってぬいぐるみの事を忘れようとするのは強さじゃないんだ。

強くなりたいからって強くなろうとするのは強さじゃないんだ、って思いこんでしまってる。

どんな強さも拒絶したがっている。


自分に与えられる数少ない全ての温かいもの、優しいものを一生拒否し続けていくことが、自分の罪への償いだと思い込んでしまっている。

自分が何かを求めている事に気づいてしまうと、その欲望をすり潰そうと心が勝手に働き出してしまう。ああ、でも僕はあれが欲しい、欲しいんだ。近くに寄って、そっと、胸の中に抱えてみたいんだ。


自分の感情を自分の為に使うなんて冗談じゃない。


自分を維持する為に、誰かを想う事を自分に許すなんて、絶対に嫌だ。


永遠は、自分の想いを永遠に想い続ける事で信じられると思います。

裏切られて苦しくても、信じたものがどれだけ愚かだったか知ってしまっても、それらも受け入れる覚悟でこれは本当にしようと思ったものは、自分の中で永遠です。


何もしないくせに、信じてばかりいる。

信じたがっているだけで、何一つ信じてはいない事を思い出した。


狂えば免除されると思っていました。


スーちゃん(スカンク)の事を忘れた訳ではないけれど、ちっちゃい黒猫のぬいぐるみを一つだけ買って、机に置いている。このくらいいいよね。可愛いよ、名前をつけてないけれど。


公園で5歳くらいの男の子が、4〜5人遊んでた。当たり前に仲間外れがあって、力の強い子が遊びを全部決めて、力の弱い子が卑屈そうに笑ってた。悲しい、悲しい。


本当に本当に人間が憎くてたまらないのに、好きだという気持ちがずっと湧き続けていて辛い。


自分はそれを選ばないけれど、あなたがそれを選んだ事を好ましく思っているんですよという感情が、ちゃんと伝わるといいのにな。