5月5日
文章を書くときに他の言葉回しはないかなっと、自分がそもそも何を言いたかったのか考えると、言いたかった事なんて何も無かった事が分かって、何も書けなくなります。あるのは悲しみだけです。
愛したい。愛が何にも勝る。誰とも係わりたくない。
空は綺麗だったといいます。
深夜走るバイパスの道の起伏が作る陰影が、闇とそれよりも深い闇が、通り過ぎる名も知らぬ街が、関わる事のない目を閉じた人々が、どういう訳か魂の毛羽を撫で揃えてくれる。
自分の発言は滅入りますね…なんだろう…
ニュースとかで子供を亡くした親が、子供の使ってたノートとか服とかを持ち出して涙ぐんでるのを見ると、うわわわわやめてーってなります。自分のは全部処分しておかなくちゃって気持ち。ごめんなさい、訳分かんないですね。
友達が死んだら何よりも先にHDDを破壊してあげるのが友情かもしれない。
「twitterにも頭がおかしい人が多いの?」を思い出して、ちょっと泣くかもな感じに。言われた時は何ともなかったんだけどなー。
弟に「人間だったよね?妖精とかじゃないよね?」って聞かれた。兄弟にかける言葉の新機軸を見た。
「悲しくてやるせなくて切なくって、自分が無力に感じて、美しいものに届きたいのに絶対無理って分かってしまう」っていう気持ちを表現する新しい言葉を作ったらどうか。たとえば、「死にたい」と言うことにしよう。
薬ってちゃんと効くところが逆にびっくりします。
すごい応援したい人がいるのに頑張ってねって言うと負担になりそうで言えない。ただ願うだけだ。あの人が赦されますように。
面白い意味での残念なものと面白くない意味の残念なものを取り除いたら、何が残るかな?
薬の名前を一々挙げるような若いブログが嫌いだ。何か誇らしいことなのか、それは。