3月16日

臆病になってしまったよ。一緒に歩いてくれるかな。


好きな人が皆不純で、自分も不純なのに、どうして混ざり合わない。


雨が聴きたい。この部屋から出たくないけれど、斎場の隣の団地が灰に霞むのを知りたい。


幼い血と一緒に菜の花を摘んで歩いた
(手で千切るのと鋏で断つのとどちらが優しいだろう?)
川沿い、あの人いつか一緒に歩いてくれるかな。


一人で歩いた夜は川が光っていた。こんな幻想が自分に恵まれるなら、また駄目になるのだろうなと怯えた。慰めだったのか嘲笑だったのか知らないけれど、あんな夜見たくなかった。


水中のコロイドが乳色に光る川、山の麓の方の民家や町工場までが手に触れそうな程蒼く清んだ夜気、小人の幻想との境界を行き来した時間。そんなものばかり与えられて誰も愛せない。


特別なものなんて何も見たくなかった。良かったねなんて言い合わなければ良かった。「物語みたいね」違ういつもこうだ。


弱さとか感受性とか奈落とか絶望とか飽きた、つまらない。


殺したいのはそういう言葉しか無かった時だ。


弱い。好きだ。


三月になって六時前が薄明るくなってきた。事務所の前の県道を帰宅する自動車の列が、みんな寂しげに見えるようになった。帰らなくてもいいのに帰るから?


冬、帰らなければならないから帰る。春、帰らなくても良いのに帰る。夏、帰ってはいけないのに帰る。秋、帰れない。秋は来ない。


トルネード竜巻聞く、あー、もっとぐちゃぐちゃなのがいいのに、あー


粉々にした蛍光灯をビーカーに入れて飲み下すような音楽を聞きたい。いや、今は聞けないけど、聞きたい時がある。古い住宅地でどこかへ行く途中、珍しい形の太陽を見た時。


蛍光灯のピックで食道を掻き鳴らすんだ。