9月23日
何をしていても汚いと感じてしまう。歩いていても汚い。仰ぎ見ても汚い。理想なんてないのに、理想に足らない自分が汚く思える。理想は…光になりたい。闇になりたいよ。散るものに、浮遊する瞬間に、なりたい。どうして物質になってしまったんだろう。
悲しいものふわふわ
例えば「今日いい天気ですね」という文章で、「今日」と「いい」と「天気」が当たり前のように繋がっているのを見て、苦しくなって
こんな時間にレストランゆりのコッテリしたグラタン食べたい(足利の人にしか分からないけれど)
苗床になりたい、誰かに使ってもらいたいな。出来れば好きな人に。夜の2時くらいに思い出してもらえると嬉しいな。
カーペットが敷いてあって寝そべって本が読める夜の図書館があったらいいのに。
誰かを心の中に入れると、自分と一緒にその人を殺してしまうのではないかという怖れが常にある。もしかして僕は、自分と一緒に死んでもいいという人を探してはいないだろうか。そんなの絶対に嫌だ、嫌だけど、しているのだろうか。
逆に人に近づく時は、(死にたくはないけれど)その人が望むならその人の中で殺されようという気持ちをどこかで持ってしまっている。そのようにしか近づけない。
ですから誰かを求めていたり、求められたいと思っている時の自分を本当に軽蔑します。
どんな将来も約束できないから、永遠に一緒にいようね。
一緒に居ないのが不誠実で居るのが当然みたいな約束嫌だな。居ないと寂しくて寂しくて、居ると嬉しい、のがいいな。
あ、この人、も、いつか死んじゃうんだな、絶対。絶対。絶対。うううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううううう